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7.仲が良かったはずの友達

5月20日
読了時間: 3分

小学生になると鍵っ子になりました。


今では当たり前すぎて使わない言葉になりましたけど、

1983年頃の鍵っ子は少数派。


学校から家に帰っても誰もいないガランとした部屋は、

とても静かで心細かったのを覚えています。


そして両親は私を学童に通わせました。


学童のお迎え時間は18時までだったと思いますが、

父が迎えに来てくれるのはいつも時間ギリギリ。


だいたいどの子も母親が迎えに来て、

手をつないで帰る姿が私には羨ましく映りました。



そんな学童で思い出せるのは、

ベーゴマ大会です。


私は器用なほうだったので、

小さいコマでも大きいコマでも上手に回せました。


学童内で誰かに負けたという記憶はないです。

まぁ、子供の記憶なので自分が一番と思ってますしね笑


また、同級生のA 君と仲良くなって、

よく学童の敷地で野球をして、

とても楽しい時間を過ごしました。


そして、私は小学2年生になると引っ越しをして、

学区も変わったので学童には行けなくなり、

A君とも遊ぶことはなくなりました。


新しい学校での生活に忙しくなり、

次第にA君のことも忘れていきました。


やがて私は中学生になり、

ある日、ふと見たことのある顔を見つけました。


なんとA君だったのです。


しかし、A君は私たちのいる普通学級のクラスではなく、

特殊学級(現在の特別支援学級)にいました。


私はA君に障害があったことをそこで初めて知りました。


確かに言動がきつかったり、

ちょっと乱暴なところもあったけれど、

小学1年生の私には変だとは思いませんでした。


一緒に遊ぶ仲の良い友達だったんです。


しかし、私はA君を避けました。

友達だと思われたくなかった。


短い間でしたけど、

A君とは本当によく遊んだので、

きっとA君も私を覚えていたと思います。


私がA君に近づかなかったので、

話をすることもありませんでした。


そんな中、体育の授業でサッカーを一緒にする機会がありました。


A君のいる特殊学級も含めてチーム編成があり、

同じチームになったのですが、

私は覚えていないかのような態度で振る舞いました。


A君には申し訳ない気持ちがありましたが、

私はそれほどまでに障害に過敏で、

忌み嫌うようになっていました。


中学を卒業して以来A君には会っていませんが、

もしいつか会うことがあったら謝りたいと思います。


私はA君といい思い出を作って来たはずなのに、

A君そのものではなく、

障害のあるなしによって人を判断してしまったことを

とても情けなく思います。



また遊ぼうそう

別れて時が経ち

君が目の前に現れた

当時とは何も変わっていない君がいたはずだった

「君の服好きじゃないから違う服にしてよ」

君は次の日も

その次の日も同じ服を着てきた

その服を着てくるならもう遊べない

もう友達じゃない

と声を荒げた

あの日の君がいたはず

あの日の笑い声を覚えていたはず

僕は君の来ている服が気に入らなかったんだ

本当は僕と同じ服を探すほうが難しいっていうのに

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