あとがき
私は、そろそろ母の障害を許す時が来たのかもしれません。
透析だけだったなら。
目が見えないだけだったなら。
どちらもなかったなら――。
そんなことを、何度も考えてきました。
あの悔しさは40年以上経った今も消えていません。
きっと、一生消えることはないのでしょう。
でも最近思うのです。
母の障害が、
これほど長い間私の心に残り続けたのには、
きっと意味があったのだと。
私は長い間、「障害で傷ついた自分」を隠れ蓑にして、
本当の自分と向き合うことから逃げていた気がします。
30代になってようやく自分と向き合い始め、
40代では人生とは課題を解決し続ける旅なのだと気づきました。
人は、記憶によって作られています。
だからこそ、
自分を形作ってきた記憶を見つめ直すことで、
生きづらさは少しずつ変えていける。
私はそのことをカウンセリングやヒプノセラピーを通して学びました。
仏教には「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。
一つの出来事でも、立場や見方が変われば意味も変わり、
それが時に人を癒していくのです。
この記事を書いた2018年当時、
母はまだ生きていました。
その後、コロナ禍の直前に亡くなりました。
42年にわたる透析生活でした。
今はもう、天国で自由になっている気がします。
そして私自身も、ようやく母の障害から解放されました。
振り返れば、
私はずっと「自分が母を支えなければいけない」と思って生きてきました。
まるで重たい鎖でつながれているように。
でも、本当は違ったのです。
父も母も、
一度だって僕を縛ったことはありませんでした。
私が、自分で鎖を巻きつけていただけでした。
長い年月そう信じてきたので、
“最初から鎖なんてなかった”ということを受け入れるまで、
ずいぶんと時間がかかりました。
そして、私は50歳になりました。
ミュージシャンとしても、仕事としても、遠回りをたくさんしてきました。
でも、その経験があったからこそ、
今ようやく「ここだ」と思える場所に辿り着けた気がしています。
それが、ヒプノセラピーです。
ヒプノセラピーは万能ではありませんが、
自分の記憶と向き合い、生きづらさを手放していく大きな助けになります。
『生まれてこなければよかった』
『死にたい』
『何のために生きているんだろう』
そんな思いを抱える人が、
少しでも「生きていてよかった」と思えるように。
その人自身の人生や役割を見つけられるように。
その手伝いをしていくことが、
これからの私の人生の役割なのだと思っています。
最後に、父と母へ。
ここまで育ててくれて、ありがとう。
ようやく今、
自分の人生を歩き始められる気がしています。
