45.怪獣の哭いた日
私が小さい頃に母は、
「もしお母さんの目が見えていたらおしゃれをして、
色んな所にお前を連れて行ってやりたかった」と、
よく言っていました。
私はそれを、
「ふーん」と聞き流していたけれど、
この言葉が後に大きな影響を及ぼすことになるとは、
その時は知る由もありませんでした。
それは前妻との間で起こりました。
相手のことがあるのでだいぶ端折りますが、
私は彼女が疲れていようと体調の優れない日だろうと、
まだ行ったことのない場所へ、
毎週毎週時を急ぐかのように連れ回しました。
彼女に似合いそうな服やカバン、靴などを買いまくっていました。
家計に余裕がなかったにもかかわらず、
でもその時は自分のしていることに何の疑いもなく、
最初は彼女も嬉しかったようでしたが、
そのうち自分に必要以上にお金を使ってもらうことに、
苦しさを覚えるようになっていきました。
そして、
ある日離婚を宣告されました。
私は寝耳に水で、
翌日から凄まじいストレス反応が現れ始めました。
動悸がするようになり、
眠れなくなり、
味覚がなくなり、
仕事も手につかず、
涙が止まらなくなりました。
死んでもいいと思うようになり、
さすがにこれはまずいなと心療内科に行って、
薬を処方してもらいました。
先生に「もし診断名をつけるとしたら何ですか?」と聞くと、
「適応障害ですね」と言われました。
「離婚」というストレスがなくなれば快復するであろうから、
「確かに」と妙に納得したのを覚えています。
その直後に東日本大震災が起きて、
前代未聞の災害があっても戻らない関係なんだとわかったとき、
もう終わりにしようと思いました。
そして何を思ったのか、
自分の何がいけなかったのか、
これまでの人生を振り返ってみようとパソコンに向かい、
思いつく限り、
生まれた時から現在までの覚えている全ての出来事や気持ちを書き出してみたんです。
誰に見せるわけでもないので、
曖昧なことも気にせず書き出して、
トータル24ページになりました。
これが「生い立ち」の原点になっています。
そして、
書き出した様々なことが、
これまでの自分の言動に密接につながっていて、
よかれと思ってやっていたことも、
実は母との関係が影響していたことに気づきました。
「おしゃれをして色々なところへ出かけたかった」
そう言っていた母の願いを、
彼女で叶えようとしていました。
時を急いで彼女を連れ回したのも、
母は29歳で失明したので、
彼女もいずれ失明するのではないかという恐れがありました。
だから時間の許す限り、
彼女に色々な景色を見せてよう。
母がしたくてもできなかったおしゃれを彼女にしてもらうことで、
当時の母の思いを実行していたと私は理解しています。
その気づきがあった瞬間、
まさに慟哭。
腹の奥底に押し込めていた感情が決壊したダムのように、
怒涛に溢れ、
まるで怪獣が哭いているかのように叫び哭きました。
自分であって自分でないような、
別人が哭いているかのような感覚。
不思議でしたね。
それは35年分の涙だったのかもしれません。
読み返すたびに激流の涙が溢れ、
彼女には本当に申し訳ないことをしたと思います。
彼女は彼女であって母親ではありません。
自分の思いに気づいた時には、
すでに戻らない関係になっていましたが、
自分の過去を振り返ったことで、
無意識に彼女にしていた自分の行動が腑に落ちました。
たとえば虐待をされた子供が、
自分の子供に虐待をしてしまう「世代間連鎖」と呼ばれるものがありますが、
「なぜそんなことを?」とか、
「周りが気づいてやれなかったのか?」という話をよく聞きます。
でも虐待する側は、
自分でコントロールすることができないから困っているし、
無意識に繰り返したり、
また他人に対してそれを巧妙に隠すので、
問題は根深いわけです。
親子関係に起因する「抑圧」を、
私は身を以て体験しました。
本当に強烈でした。
でも人生で最も落ちている時に、
私のしたことは少々危険なことだったようです。
職場のカウンセラーに話をしたら、
「危ないことするねぇ」と言われました。
結果的に私は、
涙によってカタルシスが生まれたからよかったけれど、
これが底なし沼のように、
もっと深く落ちてしまえば命の危険もあったかもしれません。
過去の出来事や感情を振り返るというのは、
抑圧している思いに気づき、
より生きやすい自分に変えていくことができる一つの方法だと思った出来事でしたが、
下手をすると、今より生きづらさを生んでしまう諸刃の剣かもしれません。
影は明るいところで顔を出す
明るすぎたり
暗いところでは見えないように見えるだけ
消えたように見えるだけ
だけどいつだって
離れずそばにある
