39.母の人生を背負って
私は一人っ子ということもあり、
小さい頃から母を自分が支え、
母の目の代わりにならなくてはならない、
母の体の代わりにならなくてはならない、
守らなくてはと思っていました。
特に小学2~4年生くらいの時期は、
悪夢を頻繁に見たり、
「お母さんが死んでしまうかもしれない」という思いが強かったので、
母を心配するあまり、
ずっと側で支えなければいけないと自分を縛っていました。
そんな私が23歳の時、
名古屋を離れて東京に行くことになります。
私は高校2年生の頃から、
歌手になる夢を持ちました。
そして20歳の時に音楽の専門学校に行き、
デモテープを出しては落ちを繰り返し、
1年フリーターをしたけれど鳴かず飛ばず…
そして、
『どうせなら後悔なく生きるために東京でやってみたい』
と思いました。
当時通っていたYAMAHAのボーカルスクールの先生に、
思いきって相談してみたんです。
これまで先生には一度も母のことを話したことはなかったので、
話すのにも勇気が必要でした。
「東京に行って音楽をやってみたいと思うんです。
だけど母は目が見えなし、体も弱いから心配なんです…」
私は泣きながら相談しました。
すると先生は、
「あなたがやりたいことをやるのが、
お母さんにとっても一番いいことなんじゃないの」と、
背中を押してくれました。
私はその一言で胸のつかえがスーッとおりましたが、
とはいっても今度は両親の反応が心配でした。
恐る恐る東京に行きたいことを話すと、
母は「おまえがそう言うのはわかっていた。頑張れよ」と、
私を快く送り出してくれました。
後に母は、
当時は寂しくてよく泣いたと言っていました。
もし親が子供に、子供が親に共依存するような関係性が続いていれば、
きっと私は名古屋から出られなかったと思いますし、
名古屋にずっといたら様々な感情に押し潰されていたかもしれません。
いざ出てみれば出てみたで、
心配していた母の暮らしは父が頑張ってくれたのでなんとかなりました。
私は40年という時間を経るに従って、
だんだん自分の家族はいいなと思えるようになりました。
そして、
自分の人生を振り返る機会に恵まれて、
母の人生を背負おうとしていた自分に気づきました。
そこから少しずつだけど、
自分のために生きよう生きていいんだと思えるようになったんです。
あなたが幸せになることが
親にとっての一番の喜びのはず
背負って来た荷物はさぞかし重かったろうに
いずれ出会うべき人に出会うから
あなたの荷物を一緒に背負ってくれる人に
その時
随分と心も軽くなるはず
あなたは荷物を置いて行くこともできるんだ
大丈夫
いつだって取りに戻ることはできる
あなたが幸せになることを考えればいいんだよ
あなたが笑顔でいられることを考えればいいんだよ
それが親にとっての一番の喜びなのだから
