29.13歳から働く
中学生の頃、
家にはあまりお金がなかったと思います。
両親から聞いたわけではないけれど、
なんとなく雰囲気でわかるもの。
私は自分のお金は自分で作ろうと、
新聞配達のアルバイトを始めました。
もちろん中学校に許可は取ってません。
当時はアルバイト禁止なんてルールもなかったと思います。
私は1年生からサッカー部に入ったので、
授業後に練習があるから朝刊だけにしました。
土砂降りの雨の日や、
雪の日は本当に大変でしたね。
当然、
新聞は濡らしてはいけないのですが、
配達のクオリティーは、
気分に左右されていたと思います。
私の担当する配達エリアに、
塀の向こうにヒョイと新聞を投げ入れる家があったんです。
ヒョイが失敗して、
挟まっていた広告がバサバサと地面に落ちても、
「ま、いっか」
また、
時には寝坊もしました。
携帯電話のない時代なので、
家の固定電話が朝5時半くらいにリンリンと鳴るんです。
同級生には絶対に見られたくないと、
遅刻した時間を取り戻すべく、
いつもの2倍速で、
そして2倍いい加減に配ったりしていました。
きっと、
新聞屋にはたくさんクレームの電話が入っていたんじゃないかと思います。
この場を借りてお詫び申し上げます。
すみませんでした。
思い出深いのはクリスマスの日。
仕事が終わると新聞屋のご主人が、
アイスケーキをくれました。
人生で一度も食べたことがなかったので、
嬉しかったし、おいしかった。
お正月もお年玉が出て嬉しかったけれど、
チラシがたくさん入るので、
新聞一部がまるで辞書のように分厚くて重かった。
それを200 軒以上配るから、
なかなか大変でした。
ただ、
お正月の朝はとても静かで、
朝日が美しく、
とても清々しい気分だったことを覚えています。
また冬の暗くて寒い明け方に、
自動販売機でコーンスープやはちみつレモンなどのホットドリンクを買うのが楽しみでした。
自販機の明かりに集まる虫の気持ち?がよく分かります。
そして、
私が新聞配達を続けられた大きな理由があるんです。
給料がもらえることより大きかったかもしれない。
ゴミ収集日の朝、
前日夜から雑誌が捨てられている場所があったんです。
確か喫茶店の前だったと思いますけど、
名古屋の喫茶店には、
新聞や雑誌、漫画をたくさん置いているお店が多くて、
ちょっと大人びた雑誌も取り扱っていたりします。
プレイボーイとかパンチとか、
その大人びた雑誌が私の性を刺激したわけです。
インターネットもない時代なので、
大人びた雑誌からしかムッフーな情報を得ることができません。
しかも、
その情報は本屋でしか買えなかったし、
中学生に買う勇気なんてありません。
雑誌の捨てられているその日は、
「今日は新しいのがあるかな♪」と、
心臓バクバクしながら新聞配達をしていました。
その朝がどんなに待ち遠しかったことか。
しかも無料で何冊もゲットできるわけだし、
朝早くだから誰にも見られずに持って帰れる。
新聞配達がいい隠れ蓑になりました。
バイトの合間に強烈な刺激があったことで、
朝起きるのは大変だったけれど、
すぐに止めることなく1 年半くらい続けられました。
またこの時ばかりは、
母の目が見えないことをいいことに、
大人びた雑誌を家に持ち帰ってコッソリどころか堂々と読んでました。
そうやって私は、
大人の階段を登っていったのです。
いいこともね
いっぱいあるはずなんだ
光と影
表と裏
正と負
どう見えるかは
これまでの生き方に左右され
はたまたどういう視点で見ているのか
自分を知ると
それは楽に生きられる
近道になるんだよ
