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28.パチンコとタバコ

5月22日
読了時間: 3分

父もまさか自分の妻が障害者になるとは夢にも思わなかったといいます。


障害とは全く無縁な世界で育ってきたので、

週3回の透析と全盲という妻の二重苦に、

どう向き合っていけばいいかわからないのも当然だと思います。


当時は障害に対する情報も少なくて、

また忙しい仕事の合間をぬって勉強したり、

家族会を立ち上げたりするほど時間的余裕もありませんでした。


『24時間戦えますか?』

というフレーズが流行していた時代です。


仕事をしながら、

病院へ送り迎えするだけでも大変なこと。


父は献身的に母を支えて来ましたが、

自営業をたたむことになり、

会社員になってからは相当なストレスがあったと思います。


父のパチンコは、

私が中学2年生の頃から始まりました。


仕事からの帰りによく立ち寄って、

次第に休日にもパチンコ屋に行くようになり、

その時はタバコもかなり吸っていました。


私は休日に部活があったので、

家族で出かけることはほとんどなくなっていましたから、

父も時間を持て余していたのかもしれません。


母と二人で遊びに出かけるということもなかったみたいです。


父は元々頭より体を動かす人なので、

パチンコを研究して稼ぐようなタイプではなく、

たまに勝つことはあっても、

トータルでは負けているでしょう。


たまにチョコレートを持って帰って来たり、

お小遣いをもらった記憶はあります。


パチンコで借金をするほど依存していなかったと父は言いますが、

母は障害者年金を使われたとよく言っていました。


双方の話には少し食い違いがありますが、

それでもずっと夫婦をやってきたし、

もう過去の話にしてもいいのかもしれません。


母は文句は言うものの、

父の人格を否定することはありませんでした。


これはのちに母から聞いた話で、

父は忘れていると思いますが、

母が障害を負った時に、

父は「俺が面倒見るでええわ」

と言ったらしいです。


母にはその言葉が支えになっていたんだと思います。


でなければそんな話は忘れていてもおかしくないですから。


父がパチンコにはまっていったのは、

仕事のストレスだったんじゃないでしょうか。


父はサラリーマンになってから、

自営業をしていたときのイキイキさは失われていきました。


自営業の時には聞いたことのなかった、

仕事の愚痴もちらほら聞くようになりました。


自分の好きなことではないし、

やりたいようにやれないのでそれは仕方のないこと。


でも父は、性格的に辛いとか苦しいとか思わないようで、

19歳の時に伊勢湾台風も経験してますけど、

過去一番辛かったことは何かと聞いても、

「ないなぁ」と答えます。


仕事のことや母のことを、

誰かに相談したこともないようです。


簡単に解決できないことは、

それなりの時間が必要です。


問題解決ばかりに焦点を合わせすぎず、

先延ばししたり、

子育てのように長期にわたって見守る期間も大事なんだと、

私は母と父の関係から学びました。


私の家族は、

お互いを否定することなく、

それぞれを信じていたから今があるんだと思います。



どんな人にだって

良い時悪い時はある

良い時には調子に乗り過ぎないように

悪い時には解決を急ぎ過ぎないように

温かく見守る目だって必要だ


疑うより

信じて時をやり過ごそう

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