26.母と宗教
母が亡くなる数年前に聞いたことがあります。
「母さんはこれから子育てだという一番いい時に透析が始まって、
さらに目が見えなくなって死にたいと思ったことはないの?」
すると母は、
「それはない」と即答しました。
その理由を「おまえがいたから」とも教えてくれました。
その言葉は私にとって、
「生まれてこなければよかった」
という長年の罪悪感に対して、
「生まれてきてよかったんだ」
と、生きることを肯定できた瞬間だったと思います。
そして母は思い出したように、
「そういえば一度だけある。
若い頃前髪を切り過ぎて、
父ちゃんにそれを言われたときにな」
と、笑い話を教えてくれました。
また別の時には、
「励みがなければ糸が切れる」
とも言っていました。
そんな母ですけど、
当時は随分と苦しんだといいます。
「なぜ自分だけが…」
泣いても泣いても涙が出て、
「どうしてこんな体にしたんだ!」と、
母親のせいにしても仕方ないことはわかっていながら、
やり場のない気持ちをぶつけていたようです。
母は8人きょうだいで、
障害を持ったのは自分だけ。
母の母も、
可愛い娘が障害を負ってしまって自分を責めたといいます。
私の小さい頃の写真には、
おばあちゃんがあちこちに写っています。
岐阜から名古屋へよく足を運んでくれたことがわかります。
当時世間は、
今ほど障害への理解はなかったので、
訝しんで見られ、
避けられ、
腫れ物に触るような視線が集まりました。
家の隅で隠れて暮らさなければならなかった、
と言うのが大げさではないほど、
障害者には肩身の狭い時代だったんです。
母の父は、
そんな母を見かねて地域にあった宗教に駆け込みました。
その宗教では、霊媒師がいて、
母はご先祖様にこう言われたそうです。
「おまえがいつも悲しい悲しいと泣くのを聞くたびに、
先祖も悲しくて苦しいぞ。
そんなことは考えず、
前向きな気持ちを持って前へ進め。
心の目を開いて前へ進め」
それを聞いた母は気持ちが少し楽になり、
定期的に宗教へ通うことで、
自分の気持ちを鎮めていったようです。
でも私は、
毎月のように行くその道場が嫌でした。
悩みを抱えた人が来るからなのか、
雰囲気が暗くて重たいので苦手でした。
私は祈ることで母の目が見えるようになるならと、
両親と一緒になって手を合わせて祈りました。
でも当然ですが、
母の目は一向に見えるようになりません。
今でこそ宗教に奇跡を求めても無理だとわかりますが、
子供だった私は、
とにかく母の目を治したかった。
しかし、
何回行っても、
何年行ってもよくならず、
途中からは希望は捨てきれないものの、
「宗教は嘘つき」と思うようになりました。
ただ宗教の道場に入ると、
外とは流れている空気が違って静謐さを感じました。
神様や見えない存在はあるのだろうとは思っていました。
一応誤解のないように、
その宗教では母の目を治すということは一切言っていません。
カルト教ではなく、
田舎の集落にある世間に知られることのないひっそりとした宗教でした。
私は嫌々行く中でも、
楽しみをひとつだけ見つけていて、
みんなでお茶を飲む時間があったんです。
私の家にはほとんどお菓子がなかったので、
普段食べられないお菓子が食べられることを目当てに道場へ行っていました。
単純な子供だったんです。
現在の私は宗教はしてないし、
否定もしません。
ただ、子供も一緒にというのは賛成しないです。
親のために行っていることがありますから。
宗教2世の問題の根源もここにあるでしょう。
宗教が理解できる年になって、
自らの意思で始めるのであればいいと思います。
本当は嫌だけど
お母さんが行くなら僕も行く
本当は遊びたいけれど
お母さんの目が治るなら僕もする
僕
毎日手を合わせて祈るよ
どうかお母さんの目が治りますように
