25.父の背中
私の生まれた名古屋は中日ドラゴンズの本拠地。
当時は中日も強くて、
スポーツといえば野球の時代。
父ともよくキャッチボールをしました。
父は自営業で休みなく働いていたけれど、
透析をしている母を迎えに行った後や、
たまに夕方に家に帰って来ることがあって、
再び仕事に行ってしまう前に、
私は「キャッチボールしよう」
と誘いました。
いい思い出になっているからか、
父にはキャッチボールを一度も断られた記憶がありません。
どんなに忙しくても疲れていても、
父は必ず付き合ってくれました。
私が中学2年の時だったと思いますけど、
『速球王』というスピードを測定できるボールがありました。
ある日、
父と競争し、
僕の方が速かった。
僕の全力の球を父は取れなかった。
その帰り道、
父の背中がやけに小さく見えたのを覚えています。
子の力が親の力を超えた瞬間だったのかもしれません。
それ以来キャッチボールはしなくなりました。
当時、
僕は自分が辛い気持ちを抱えていることを自覚していませんでした。
もしかすると、
「助けて!」
という気持ちをボールに乗せて、
父とはキャッチボールをしていたのかもしれません。
私の投げたボールを、
父が受け取ってくれることで癒されていたのかもしれません。
体を動かすことは、
効果の高いストレス発散方法ですし、
大好きな父親とするならなおさら。
ただ、
私の誘いにいつでも乗ってくれた父でも、
ファミコンだけはダメでした。
父が育った時代の影響もあると思いますが、
デジタルな遊びには全くついていけず、
テレビ番組さえ録画できず、
携帯も持ってはいるけど使えません。
父はダメだと思ったものは一切覚えようとしないので、
このまま行くんでしょう…
そういう割り切りは、
私には受け継いでいない性格だから、
時々羨ましく思います。
だから私は、
自分の子供が何かしたいと言ったら、
父のようにどんなときでも嫌な顔一つせず付き合う父親になりたいと思っています。
助けてと言えずボールを投げた
父はそれをしっかり受け取って
山なりのボールで返してくれた
力を抜けよ
とでも言っているかのように
僕は力の限りのボールを投げた
父はズバンといい音をさせて受け取り
僕以上のスピードで投げ返して来ることもあった
俺がいるから安心しろとでも言っているかのように
ある時
僕の速球を父が後逸した
なんど投げても父は取れなかった
もう助けが必要ない時が来たのかもしれない
その帰り道
父の背中が小さく見えた
