17.いい子なんかじゃない
私の誕生日は一月一日。
これは私とって良くも悪くも影響してきました。
誰にとっても一年に一度しかない誕生日。
どの日だけが特別ということはありません。
でも元旦は、
世間的におめでたい日。
だから自分の誕生日には特別感を感じていましたし、
母の目が見えないことを補う何かが自分にはあると信じていました。
自分は特別だという感覚は、
誰でも少なからず持っていると思います。
ただ、私のそれは、
「特別でなくてはならない」というプレッシャーがありました。
子供ながらに障害を持つ母を支えることへの
周囲からの賞賛とも憐れみとも取れるたくさんの声も影響していたと思います。
「お母さんを助けてえらいね」
「とても優しい子だね」
「頑張ってね」
散々言われました。
私にとっての日常が、
他人には特別に映るわけです。
これは小学生の時の家庭訪問の話。
当時の家庭訪問は、
先生が生徒の自宅に上がってお茶を飲みながら話すのが一般的でした。
どの先生も
「まさき君はとてもいい子ですね」
「お母さんのお手伝いをしてえらいですね」と、
褒めてくれました。
先生は本心だったと思います。
しかし、私はその言葉を素直に受け取れませんでした。
言われるたびに「僕はいい子なんかじゃない」
という思いが心に沸き起こっていました。
この感覚ははっきり覚えていて、
謙遜してそう思っているわけではなかったんです。
もちろん先生や親に対しては表情を変えることなくニコニコしていたので、
私の気持ちが知られることはなかったと思います。
私は、
「あなたは特別」
というメッセージを浴び続けて、
もうお腹いっぱいだったんです。
母を支えなくてはならない。
強くなくてはならない。
優しい子でなくてはならない。
という思いを背負い込んできました。
いつしか甘えたい気持ちを抑え、
早くから大人の仮面をつけていたのです。
そして私が、
「いい子だね」
「えらいね」
を嫌う理由がもう一つ。
「1.生きづらさの正体」で書いた
「僕が生まれて来たことでお母さんの目が見えなくなった(だから僕は悪い子、いい子なんかじゃない)」
そう思うと当時の「いい子・えらいね嫌い」に納得がいくんです。
もう食べられないよ
見えないこのお腹?
親切で言ってくれてるのはわかるけど
おいしくないし
もう見たくもないんだ
でもそんなに言うなら
もう少し頑張るよ
僕が頑張ればいいんだから
本当はね
一緒に遊びたいんだ
一緒に遊んで笑いたいだけなんだ
