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16.患者会

5月20日
読了時間: 3分

母が通った病院には患者会がありましたが、

数回参加しただけで行かなくなりました。


その理由は2つあり、

一番大きかったのが、

患者会の委員長が、

「あなたは目が見えないからどこも行けないしたるいから(辛い・つまらないから)、

来ないほうがいいでしょう」

と言ったんだとか。


委員長は母に配慮するつもりで言ったのかもしれません。


でも母には、

「あなたは来ない方がいい」

と突き放されたように感じたと言います。


たった一言が、

人の心を傷つけ、

何十年経っても覚えているということが、

母のショックを物語っています。


障害のある人は、

障害を補うために他の感覚が発達します。


母でいえば、

聴覚や味覚や嗅覚はもちろんですが、

言葉に乗る感情や人の気配に敏感でした。


それは命を守るためであり、

健常者には到底およびもつかないのでしょう。


二つ目の理由は、

患者会には母のように、

腎臓病以外に視覚障害や重い障害を重複して持っている人はいませんでした。


透析患者といっても自由に一人で外出できる方ばかりで、

日常生活で他者の介助を必要とする場面はさほどありません。


でも母はどうしたって介助する人が必要になります。


父は仕事があるので患者会には行けませんでした。


同じ透析患者の中に、

一緒に行きましょうと声をかけてくれる人もいなかったといいます。


当時は母のように、

20代から透析をする人がいなかったこともあって、

年配者からは声をかけにくかったのかもしれません。


母も透析をする者同士で話をすれば、

少しは気持ちが楽になったと思いますけど、

それもできませんでした。


母から積極的に声をかける努力が必要だったのでしょうか…


母の辛い気持ちは、

「お父さんも辛かっただろうから」と、

父にぶつけることもせず、

自分の母親にぶつけていたようです。


現代はインターネットで色々な患者会の情報を探せます。


視覚障害を持つ方でも、

テキスト読み上げ機能を使うなどしてパソコンを使う方もたくさんいます。


本当につながりやすい時代になりました。


『障害者』への視線も随分と変わったと思います。


でも母は、

自分と似たような重複障害を持つ人には出会えませんでした。


それは私も同じで、

『重複障害の親を持つ子供』に出会えていません。


インターネットを散々検索し、

病院に尋ね、

大学教授にも聞きましたが、

圧倒的マイノリティなのです。


このブログが、

日本中のどこかにいるであろうマイノリティ家族の声にならない声を代弁し、

似た境遇の人を結びつけることに役立てばと思います。



人は何か失ったとしても

それで得るものもある

視力を失った人は

言葉や気配に敏感になり

恋を失った人は痛みや優しさを覚える


失ったものが大きければ大きいほど

得るものも大きい


失っていない人には

決して得られることのないもの


それらにもっと自信を持てるようになったらいいのに

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