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55.クロロキン薬害事件

5月27日
読了時間: 6分

母から、

「失明直後に、

テレビだったかラジオだったかで、

薬で目が見えなくなったと裁判に訴えたニュースがあって、

自分も同じかもしれない」と聞きました。


インターネットで調べ、

クロロキン薬害事件の存在を知りました。


事の発端となったクロロキン製剤は、

もともとマラリヤの治療薬で欧米では禁忌とされていました。


腎疾患への適用が、

日本ではあたかも効果があるとされ、

薬の副作用でクロロキン網膜症による視力障害が起こり、

ひどい時には失明するという薬害事件です。


昭和35(1953)年頃から昭和50(1975)年頃にかけて起こっていました。

被害者数は1000人以上と言われています。


私はクロロキン薬害事件を知り、

「もしかしたら母は被害者なのか・・・」

「いや、仕方のない病気だったんだ」


そんな思いが交錯して、

事実が知りたくなりました。


でも40年前のことを今更どうやって調べればいいのか。


カルテが残っているとすれば、

それは奇跡に等しい。


まずは図書館で本を借りたり、

判例を通読していきました。


さすがに40年以上前の話なので、

情報はとても少なかったです。


裁判を担当した弁護士の先生と話をする機会も持つことができました。


そして母から聞いた情報に、

ひとつひとつ当たっていったんです。


母が腎臓病で最初に行った病院では、

粉薬をたくさん処方されたと言います。


クロロキン製剤を粉薬で処方したという記録は見つけられませんでした。


次に妊娠中に行った診療所では、

注射を打っていたと言います。


判決文や多くの情報には注射の文字はなく、

錠剤による被害と書いてありました。


国会図書館で『日本医薬品集』を調べると、

クロロキン製剤の注射剤を扱っていた製薬会社が2社ありました。


直接製薬会社に問い合わせると、

一社はありましたと言い、

もう一社は情報が古いのでわかりませんとの返答。


製薬会社も40年以上前の汚れた歴史を引っ張り出されているので、

僕を訝しんでいるのがよくわかりました。


でもたとえネガティブなことであっても、

真摯に向き合う会社かどうかを知るだけでも意味がありました。


事件後に入社した社員には関係ない話かもしれません。


だけど、

人様を欺く事をした会社であり、

反省して更生したように見えても、

被害者の心が晴れるかは別問題です。


クロロキン製剤が製造中止になったのは1974年で、

母が診療所に通い出したのが1975年のこと。


数字だけを考えれば、

母には使われていないはずです。


でも『日本医薬品集1975』には、

2社のうち1社、

クロロキン製剤として使われていた薬剤が掲載されていました。


これは製造中止から情報が行き渡るまでのタイムラグが影響しているのでしょうか。


私はここで壁にぶつかりました。


母の通っていた診療所は、

もう何年も前に閉鎖していました。


さすがにインターネットにも当時の情報は出て来ません。


「近所の人に当たるといいですよ」

という弁護士の先生の言葉を思い出して、

名古屋まで行って、

診療所があった近所の家のインターホンを押して回りました。


その中でいくつか得た情報を頼りに再び調べていくと、

診療所の先生のご家族にたどり着きました。


医師が薬害となるものを患者に使用することは常識では考えられません。


でも医師も人間ですし、

薬害と知る前に使っていた可能性はあります。


現実にクロロキン薬害事件は、

製薬会社だけではなく、

医師も訴えられています。


だけど私は母に先生の人柄について、

「大柄で温和な先生でよく笑っていた」

「障害者年金がしっかりもらえるように診断書を書いておいたからね」と、

わざわざ自宅まで診断書を届けてくれたことを聞いていました。


その診断書も役所から取り寄せて、

先生の筆跡も見ましたけど、

とても丁寧に書いてありました。


そんな先生に対して、

疑いの目を持つことは大変失礼だとは思いましたが、

事実を知るためにご家族の方に連絡を入れました。


もちろん直接的に『疑っています』というわけではなく、

間接的な表現で伝えました。


残念ながら先生は既に亡くなっていて、

カルテもさすがにありませんでした。


しかし、

先生のご家族と温かいやりとりができたことで、

僕は先生の診察に間違いはなかったと信じることにしました。


そして何より母の透析が始まった母の29歳の誕生日、

先生の紹介ですぐに病院へ行かなければ、

母は生きていたかわからなかった。


私も生まれていなかったかもしれない。


先生の迅速な判断によって、

今の私があることを、

今は亡き先生に感謝しています。



次に、

母は透析を始めてから目が見えなくなり、

眼科の先生の書いたカルテには、

『透析による影響が視力障害を起こしたのではないか』とありました。


眼科に行って、

先生に当時の様子を聞きました。


40年前の、

しかも一人の患者を覚えていること自体無理な話だけれど、

先生は快く対応してくださいました。


それから透析の始まった当初のカルテも、

なんと保存されていて、

情報開示請求をして見ることができました。


確かに透析による視力障害の例は、

多数報告されているのでその可能性もありました。


当時は、

日本の透析治療も過渡期でしたし、

当事者にとっては辛いけれど、

そうやって医療の質が上がっていくものでもあります。


カルテには専門用語が並び、

私には全部を理解することはできませんでしたが、

それよりも医師や看護師の方々の記録が、

とてもリアルに母の状況を教えてくれました。


私は胸が苦しくなりました。


母が先生たちに話した不安や、

わずかな期待、

また医師や看護師の方達の苦しさもそこには記録されていました。


母は一人で頑張ったのでなく、

一生懸命に支えてくださった人たちがいたことを、

カルテは教えてくれました。


医療の尊さを痛切に知ることになりました。


私は疑いを持っていた自分が恥ずかしくなりました。


母の病気は作られたのではなくて、

仕方のなかったことなのだと、

そう理解することにしました。


クロロキン薬害事件について、

本をたくさん読み、

そして多くの方にご協力いただきました。


このような痛ましい出来事の上に、

被害者救済制度や情報開示のできる時代となったことを忘れずにいたいと思います。


また、

母の病気を深く知る機会を与えられたことは、

僕には有意義な時間となりました。


今回の調査において、

医療機関の方々には大変ご迷惑をおかけしたと思います。

この場を借りてお詫びと感謝を申し上げます。



(本稿は、コロナ禍より前に記載したものであり、コロナ禍によって、私の医療に対する信頼は失墜しました。)


疑ってもやっぱり信じたい

騙されてもいいと思いたい

悲しみに咲く美しいバラがあると思いたい

どん底に落ちたと思えるなら

そこから見えるのは

すべてやさしい世界


あなたにしか見えないやさしい世界がある

どうかそれを閉じ込めないで

あなたにとっては当たり前でも

たくさんの人に勇気を与えられる

光り輝く宝物なのだから

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