53.人生最高の日は必要か?
ある日妻に、
「これまでの人生で最高だった思い出は?」と聞きました。
私は小学6年生の頃、
サッカーのワールドカップの決勝戦をスタジアムで見たいという夢を持ち、
2002年の日韓ワールドカップで叶えたことが最高の思い出でした。
ワールドカップ終了後に何も手につかない状況になり、
いわゆるバーンアウト。
ワールドカップの開催されていた1ヶ月間は、
サッカーという共通言語があるだけで世界中の人たちと仲良くなれました。
それは、
今まで経験したことのない強烈な毎日でした。
妻にはどんなすごい日があったんだろうと、
期待して聞き耳を立てて待っていると、
妻は私の質問に少し戸惑ったようすで、
「ない」と、
あっけなく答えました。
私は誰にもそういう日があると思っていたので、
「えっ?どういうこと?」と聞き返すと、
「ないものはない」
私は全く考えていなかった返事で驚きました。
そのとき自分の生き方の特徴に気づいたんです。
私はそれまで足りない足りないと、
いつも人生に物足りなさを感じていました。
それは一度最高の日があったために、
いつしかそれが基準になっていたんです。
それに引き換え、
毎日の暮らしはとても地味なもの。
最高の日はそうそう訪れませんし、
もしかしたらもう一生訪れないかもしれない。
そうなるとずっと物足りない毎日を暮らすことになります。
しかし妻は、
最高の日はなくとも毎日色々な楽しみを見つける天才で、
牛乳が美味しい、
仕事がうまくいった、
今日は晴れた…などなど、
私からすればそれらはごくごく当たり前のことで、
楽しいとか嬉しいなんて意識したこともありません。
毎日を楽しみながら暮らしている妻の生き方に気づいた時、
とても新鮮でした。
どんな生き方をするかは人それぞれですけど、
私は、
「特別でなくてはならない」
という思いが強すぎて、
はるか高く届かないところに手を伸ばし続けて、
目の前に十分溢れている幸せを感じることができなかったんだと、
「特別」の価値を地位や名声、
お金に置きすぎていました。
今、既に家族とともに、
特別な時間を過ごしているんです。
幸せはいつだって目の前にあることを、
妻は教えてくれました。
大きなことを成し遂げなくては
生きた証を残さなくては
そんな思いに囚われていると
今を生きることができなくなる
今の自分を愛せずして
誰かを愛することはできない
