52.似た境遇の誰か
うつ病や適応障害などで休職した人たちが復職する前に、
『リワーク』という復帰訓練を利用することがありました。
毎朝決められた時間に通う通勤訓練、
パソコンを使った文書作成、
作った文書をみんなの前でプレゼンテーションしたり、
今まで仕事で普通に出来ていたことを疑似訓練していくというものです。
このリワークで最も有効と言えるのが、
同じ病気をした人同士のコミュニケーションです。
自助グループとも呼ばれますが、
「自分だけが病気になってしまった・・・」
という思いから、
「自分だけではなかった・・・」
「似た境遇の人がいるんだな」
「あの人も頑張っているから私も頑張れる」
といった空気が生まれるのです。
母は透析する人同士の患者会に行かなくなって、
透析患者の方と話をする接点が切れてしまいました。
一時期、
親戚が点字を一緒に習って母を支えようとしてくれたけれど、
母は点字が指先の皮膚に擦れて痛かったようで、
点字を習っても誰も読んでくれないと止めてしまったと言います。
母も苦しかったんでしょう。
重度の障害を2つも背負ってしまい、
自分の気持ちをわかってほしい一方で、
簡単にわかっているとも言われたくない。
そんな複雑な思いは、
自分でさえ処理するのは簡単ではなかったと思います。
私自身を振り返っても、
友達のお母さんに、
目が見えなくて透析をやっている人がいたらどんなに心強かったか。
私はそういう話のできる人やきょうだいがほしかった。
母の障害のこと、
友達のお母さんのこと、
授業参観のこと、
家族旅行のこと、
家にお金がないことなど、
思ってはいても口に出せない『秘密』を共有する誰かがほしかった。
母を支えなくてはという思いは、
私一人では重荷でした。
そして私は、
喧嘩の仕方を知りませんでした。
傷つけるのも傷つくのも怖かった。
母の病気のことで散々傷ついていたので、
これ以上傷つきたくなかったんだと思います。
喧嘩しそうな場面はとにかく避けて来たように思います。
感情を出して怒ったりしないように、
たとえ怒りがあっても常にポーカーフェイスを心がけていました。
ただ、
30歳も過ぎた大人になって、
会社で社長や専務と何度も喧嘩をしました。
私は平社員だったので、
本当に失礼な話なんですが、
どうしても譲れない思いがありました。
さすがに大人なので殴り合いまではしなかったですが、
私が初めて本気で喧嘩した相手でした。
私は喧嘩のたびに冷静に自分の言動を振り返って、
自分が間違っていた時は素直に謝りました。
専務は私より年が一つ上だったのですが、
私に兄がいたらこういう感じなのかもしれないと思っていました。
小さい頃にできなかった喧嘩を、
大人になってしかも勤務先でできたというのは、
私にとって幸運以外の何物でもありません。
社長に楯突く社員をクビにする会社もあるでしょうから、
私は恵まれていたと思います。
本当に感謝しています。
小さい頃にたとえ話せる人がいなかったとしても、
大人になってからでも遅くないことを私は学びました。
似た境遇の人には未だ出会えていませんが、
いつか出会えるといいなと思います。
え?
君もこのレアカード持ってるの?
なんだ僕一人しか持ってないと思ってたのに
え?
君も自分しか持ってないと思ってた?
あははは
でもさ
このレアカードいいよね
絶対あげたくないよね
そうそうとっても強いんだ
わかるわかる
君は僕と同じこと考えてたんだね
なんだか君とは気が合いそうだよ
もしかして
僕らが同じカード持ってったってことは
他にも誰か持ってるかもしれないね
そうだ同盟作ろうよ
