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48.父の背中

5月23日
読了時間: 5分

父は勉強が嫌いだったので、

高校には行かず、

15歳から働き始めました。


頭よりとにかく体の動く人で、

家でじっとしていることはありませんでした。


長年飲食業界で働いて来ました。

父の知人と始めた喫茶店経営は長年うまくいっていたのに、

私が小学2年生の頃、

土地の所有者が騙されて土地を売却することになり、

すったもんだあって閉店することになりました。


ほどなくして父は、

当時名古屋では珍しかった牛タン屋を始めたんです。


仙台に偵察に行って、

「これはおいしい!」と、

「焼肉・おでん・串かつの店 くるま屋」を開店。


でも当時は、

バブルが弾けて急速に日本経済がしぼみ、

財布の紐がきつくなっていった頃。


父は料理人でも経営を追求するようなビジネスマンでもなかったので、

店は3年ほどで、

借金を抱えて閉店。


その10年後くらいに牛タンブームがやって来たので、

先見の明はあったんです。


タイミングが早すぎたのか、

売り出し方がうまくなかったのか。


焼肉屋をたたんで、

魚屋で雇用の身になりました。


毎日帰ってくると魚臭くて、

その頃私は中学生だったけれど、

学校では給食がないので、

毎日弁当を持って行ってました。


父が魚屋でもらってくる鯨の肉やマグロなどを焼いておかずにしていました。


今考えればとても贅沢ですが、

当時鯨の肉は捨てるようなものでしたし、

臭みも強かったので、

私は好きじゃなかった。


また、中学校で流行ってた

『銀チョコロール』が食べたかったので、

母に「パンを買いたい」と言ったら、

「いいよお弁当作るから」と、

パンさえ買えず。


この頃は家にお金がなくて、

母の病院のお昼ご飯を持ち帰っておかずにしたこともあったらしいです。


後に母から、

「綺麗なお弁当を作ってやれず、

パンも買ってやれず申し訳ない」と、

悲しい思いをしていたと聞きました。


友達のお弁当はきれいな卵焼きやタコさんウインナーなど、

色とりどりに入っていました。


私には憧れの弁当だったんです。


私は弁当を自分で作っていたので、

今日のお昼ご飯は何かなという弁当箱を開ける楽しみは全くなくて、

ぷーんと臭う魚のおかずが嫌でした。


もちろん親にはそんなこと言えなかったので、

そのうち自分で唐揚げを作ったり、

冷凍食品を買ったりして、

自分の食べたい弁当にして持って行くようになりました。


家にもっとお金があれば、

父がもっと稼いできてくれたらと、

父にあまり自信が持てなくなっていった時期でもありました。


それで自分のお金は自分で稼ごうと、

中学2年から新聞配達を始めたんです。



そして時間が流れて、

私が30代後半になり、

何がきっかけだったかは忘れましたが、

ある時ふと父の性格や行動力がとても素晴らしいものだったことに気づきました。


父は冒頭にも書いたように、

ずっと動いているタイプの人間で、

家で寝るとき以外に横になっているのを見た覚えがありません。


それに比べて、

私はしょっちゅう「疲れた」と横になってしまいます。


でもそんな時、

父を思い出し、

自分の姿が子供にどう映っているのかを考え、

寝そべるのを止め、

「疲れた」と言いたくなる気持ちを抑え、

息子と笑顔で遊ぶよう努力してます。


子供はよく見てますからね。


それから父は人への感謝を常に持っていました。


「俺は本当に周りの人に恵まれたこんなにいい人生ない」と言います。


また、私が父に電話をかけると、

切る時に必ず「ありがとう」と言う。


他人の悪口も聞いたことはほとんどなく、

弱音を履いた記憶もない。


そして子供だった私が、

キャッチボールをしようと言えば断ることなく付き合ってくれた。


何よりも前向きで行動力のある人でした。


「こんな身近にお手本になる人がいた。

父から学ぶべきことはたくさんあった」と、

自分の父への思いを猛省。


それまでの私は、

「お金がある人=立派な人」


もちろんそういう考え方もあるけれど、

私は最近、

一番身近にいる人が幸せと思っているかが大事だと思っています。


ある時、

父に母のことを聞いたことがあって、

「父さんは母さんの目が見えなくなって、

離婚しようと思ったことはないの?」


「そんなこと考えてもしょうがない」と、

夫婦がなんたるかを教えてくれました。


とことん真っすぐで、

カーブは持っているけど、

あまり曲がらないからストレートしか投げない。


スピードは全く速くないけれど、

その純真さに父を助けてくれる人がたくさんいたんだと思います。


また父から、

「俺は母さんに好きなことをやらせてもらった。

俺には母さんだけ」と、

うんざりするくらいよく聞かされます。


私も妻に同じ言葉が言えるように、

父の背中を見習いたいと思います。


まぁ、美談ばっかじゃないですよ。


腹立つことも多いけれど、

結局振り返ってみれば、

取るに足らないことなのかなって思っています。



誰もが一番多くを学ぶのが家族

寝食を共にし

思いを感じ合う場所

良いことも悪いことも

どれも学びに変えられる

悪いことは目をつぶったとして

良いことをね

忘れてしまわないように

まな板の上に乗せて素敵な思い出に料理するんだよ

どうせなら素敵な思い出を消化して生きていたいじゃないの

そのためにはね

腕のいいシェフが必要だね

そのシェフはあなただよ

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