<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[ソネセラピー]]></title><description><![CDATA[ソネセラピーでは、ヒプノセラピーによって、心の奥にある記憶や感情と向き合い、生きづらさを乗り越えるお手伝いをしています。]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/soneブログ</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Tue, 29 Sep 2026 08:00:11 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.sonetherapy.jp/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[スウェーデンからスツールが届きました]]></title><description><![CDATA[スウェーデンからスツールが届きました。 リクライニングチェアとスツールのセットものを揃えたかったのですが、気に入るものがなくて、同じ作家さんで合わせることにしました。とはいえ、その作家さんの商品も日本にはないので、海外から取り寄せることになったのですが・・・。 実はスウェーデンのストックホルムのお店に売っていることを見つけていたのです。 ２店舗で売っていたのですが、１店舗は売り切れてしまって、あと１つしかないという状況でした。最初はアンティークショップにお願いしようと思いました。でも相談してみると、納期も約束できないし、お店の利益も乗るので高くなってしまう。それで、以前使おうとして使わなかったアメリカで売られている商品の販売代行のサービスがあることを思い出して、探してたどり着いたのがLOCOKAU（ロコカウ）でした。これは、現地の日本人に買い物代行をお願いできるというもの。 早速個人情報とクレカを登録して、いざ始めてみると、チャット形式でバイヤーとの話が進んでいきます。使い勝手はすごく良かったです。ただ、バイヤーが日本人とはいえ、バイヤーの性格や生活背景などはほとんど分からないの...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%B9%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%8C%E5%B1%8A%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F</link><guid isPermaLink="false">6a855ac440d4712b17f4f96d</guid><pubDate>Wed, 19 Aug 2026 08:33:47 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_16ab5fe375e54d8b9d032da9cb77e37f~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_974,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[10月下旬オープンを目指して]]></title><description><![CDATA[10月下旬オープンを目指して、店舗作りの打ち合わせが始まりました。 自分の店舗を持つのはもう少し先のことだと思っていましたが、それは急にやってきて、準備に追われています・・。 チャンスの女神は前髪しかないと言うので、ここはもう掴みにいこうと・・・。 シェアサロン-ソネ-を作り、その一つにヒプノセラピーを提供しようと思っています。店舗名の「sone」は、コンセプトを♮（ナチュラル：元の音に戻す）として、役割やペルソナ（仮面）を外せる場所としたい。 そのシェアサロン「sone」の店舗やコンセプトの作り込み、ホームページの制作、そしてこれが時間を取っているのですが笑、ヒプノセラピーをするときのリクライニングチェア探し。 最初はいろんなセラピールームによくあるエコーネスにしようと思いました。座り心地も抜群にいいですからね。でもシェアサロンだから簡易的なものがいいかもと思って、Lafumaのお店に行ったりもしました。 だけど、なんかしっくりこなかったんですよね・・・。それで行き着いたのが、soneという店舗を作るときのコンセプトに合うかどうか。これも直感というか私の潜在意識との対話からです...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/10%E6%9C%88%E4%B8%8B%E6%97%AC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6</link><guid isPermaLink="false">6a51e1195c421b82021bedf4</guid><pubDate>Sat, 11 Jul 2026 07:49:09 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_bb3579188e0b4ebe859e418f5be91830~mv2.jpg/v1/fit/w_500,h_500,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[三回目の打ち合わせ]]></title><description><![CDATA[店舗デザイナーさんと三回目の打ち合わせをしました。 不動産の仕事をしてきて、店舗の仲介をすることはあっても店舗デザインはしたことがありません。 ただ、形のないものをどう決めていくのかは、音楽にも共通していますが、「こんな感じのものを作りたい」というイメージが大事ですね。 事業への想いや理念、その店舗で実現したいこと、どんなお客様に来ていただきたいかなど、多角的に話し合って、それを元にデザイナーさんが図面を作ってくださいます。 １週間に１度の打ち合わせなのですが、先週室内レイアウトのデザインをいくつか出していただいて、ヒプノセラピーの空間はリラックスできることが重要ですし、外光に左右されないような空間づくりをするためにカーテンで遮光することにしました。部屋を作ると消防法も関係してくるので、まずはできるだけシンプルに。 どの分野もプロというのは、情報の整理力に優れていて、話をしていると学びがたくさんあって楽しいです。新しい出会いはこうした知識を私に与えてくれるわけで、積極的に人に会う数を増やそうとは思いませんが、見える世界が広がるのには、人との出会いが欠かせないと思っています。]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/%E4%B8%89%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E3%81%AE%E6%89%93%E3%81%A1%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B</link><guid isPermaLink="false">6a60790ce75006338f5b2b6b</guid><pubDate>Wed, 01 Jul 2026 15:00:00 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_bb3579188e0b4ebe859e418f5be91830~mv2.jpg/v1/fit/w_500,h_500,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[ヒプノセラピストへの道]]></title><description><![CDATA[2018年に「前世療法」という一冊の本に出会いました。 著者のブライアン・ワイス博士は、 精神科医でマイアミ大学附属病院の精神科首席教授でした。 数々の論文を発表する研究者であり科学者、 そして医師である方が、 科学的に説明できない本を書くことは、 相当な葛藤があり、 これまで堅実に積み重ねてきた 実績や地位も失う覚悟で発表されたといいます。 しかし、 1988年にアメリカで発表すると、 瞬く間に世界中でベストセラーになり、 日本では1991年に発売。 私は当時、 本に興味がなかったので知りませんでしたが、 27年の時を経て手にしたのです。 本を読み進めると、 精神分析によって、 無意識に抑圧されている感情があることを体験していたので、 形は違えど、 前世療法の話はすんなりと受け入れることができました。 そして、 ワイス博士の関連本を読み漁っていた時に、 ヒーリングCD付きのものがありました。 まさか自分には見えないだろうと、 試してみたのです。 私はその昔、 Mr.マリックのマジックショーに連れて行ってもらったことがあり、 参加者全員でスプーン曲げをするコーナーがあったんです。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/%E3%83%92%E3%83%97%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93</link><guid isPermaLink="false">6a168bac308565ccb89815eb</guid><category><![CDATA[ヒプノセラピストになるまで]]></category><pubDate>Wed, 27 May 2026 07:25:40 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_8a7e24bc520d47228cf328be1d73a083~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[あとがき]]></title><description><![CDATA[私は、そろそろ母の障害を許す時が来たのかもしれません。 透析だけだったなら。 目が見えないだけだったなら。 どちらもなかったなら――。 そんなことを、何度も考えてきました。 あの悔しさは40年以上経った今も消えていません。 きっと、一生消えることはないのでしょう。 でも最近思うのです。 母の障害が、 これほど長い間私の心に残り続けたのには、 きっと意味があったのだと。 私は長い間、「障害で傷ついた自分」を隠れ蓑にして、 本当の自分と向き合うことから逃げていた気がします。 30代になってようやく自分と向き合い始め、 40代では人生とは課題を解決し続ける旅なのだと気づきました。 人は、記憶によって作られています。 だからこそ、 自分を形作ってきた記憶を見つめ直すことで、 生きづらさは少しずつ変えていける。 私はそのことをカウンセリングやヒプノセラピーを通して学びました。 仏教には「一水四見（いっすいしけん）」という言葉があります。 一つの出来事でも、立場や見方が変われば意味も変わり、 それが時に人を癒していくのです。 この記事を書いた2018年当時、 母はまだ生きていました。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/_%E3%81%82%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%8D</link><guid isPermaLink="false">6a15c1b796a9edf7cb1efaf6</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 17:03:49 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[58.それは舞台だね]]></title><description><![CDATA[平成28年版　障害者白書によると、 精神障害を抱える人は日本に約392万人いる。 これは身体障害を持つ方393万人とほぼ同じ。 でも実際には、 病院へ行っていない人を含めればもっと多いはずです。 僕はメンタルヘルスの会社に勤めていた時、 常々疑問に思っていたことがありました。 ピカソやエジソン、 アインシュタインは発達障害、 ベートーベンやゴッホはアスペルガー症候群、 モーツアルトはADHD、 夏目漱石は統合失調症だったのではないかと言われていて、 こうした人達は、 教科書に載る誰もが知っている偉人です。 一方で、 同じ精神障害を抱えていても、 生活に困窮していたり、 自傷行為に苦しんだり、 果てには他害行為や自殺をしたりする教科書には載らない人達がたくさんいます。 でも前者と後者の社会的評価は全く違います。 比べ方が極端なのは分かっていますが、 でも同じ『障害』を抱えた人同士、 「この両者は何が違うのでしょうか」と、 社長に聞いてみました。 すると社長は少し考えて、 「それは舞台だね」と。 ピカソやゴッホには芸術。 エジソンには化学。 アインシュタインには物理学。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/58-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E8%88%9E%E5%8F%B0%E3%81%A0%E3%81%AD</link><guid isPermaLink="false">6a15bf6e202a2662aae4a2a3</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 15:51:12 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[57.紀元前2000年]]></title><description><![CDATA[紀元前2000年頃、 ロメオという男の子がいました。 その日はロメオ5歳の誕生日で、 魚の尾頭付きのごちそうでした。 父は椅子に座って気難しい顔で考え事をしています。 母は先天性で口がきけませんでしたが、 台所から鶏と遊ぶロメオに微笑みかけていました。 少し時が流れて、 ロメオが7歳になった頃、 父は町の不穏な空気を感じ、 「いつか町が分裂する戦争が起きるかもしれない」と、 その日に備え作戦を練っていました。 ある夜ロメオが寝静まったのを見て、 母に近々作戦を決行する話をしました。 しかしロメオは寝ておらず、 それを陰で聞いていたんです。 次の夜、 町の権力者たちがロメオの家に夜襲をかけてきました。 父は不意を突かれ殺されました。 父を殺したのは、 ロメオと仲良しだった友達の父親でした。 母は連れて行かれ、 ロメオと鶏だけが残されました。 その日からロメオは誰も信用しないと固く誓い、 生きることに何の歓びもなく、 ただただ虚しい毎日を送っていったんです。 実はロメオは仲の良かった友達に、 父の作戦の話をしてしまったんです。 だから友達が父親に作戦の話をしてしまい、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/57-%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D2000%E5%B9%B4</link><guid isPermaLink="false">6a15bdc32a9023e23334a678</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 15:41:37 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[56.夫婦漫才]]></title><description><![CDATA[私にとって、 母に「元気」や「健康」というイメージは全くありません。 いつも布団に横になっていて、 毎日を必死に生きている。 ラジオが親友で、 ストイックで自分に厳しいというイメージです。 ただ、 冗談はよく言う人で、 母と父の会話は夫婦漫才のようだと妻は言います。 父はボケているつもりはなく、 大真面目なのですが、 いつも一つ抜けていて、 大抵は食事のことで漫才が始まるんです。 母がこれとこれは入れてねと言った 野菜が入ってなかったり、 調味料が一味足りなかったり。 母は晩年こそ料理をあまりしなくなったけれど、 僕が子供の頃は作っていました。 いつも目分量だけど、 調味料は必ず少なく入れて、 味が薄ければ調味料を足すことをしていました。 だから大雑把な父とは正反対なんです。 父を擁護するとすれば、 父は小さい頃の怪我が原因で、 味覚が少しおかしいらしい。 味がなかなか整わないのも仕方ないのでしょう。 といっても、 父は目が見えるので、 計量スプーンを使えばいいだけなのですが。 もう少し学んでもいいと思いますが、 性格なんでしょうね。 我流を変えるつもりはなく、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/56-%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E6%BC%AB%E6%89%8D</link><guid isPermaLink="false">6a15bad2b22ef328630d1e03</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 15:34:12 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[55.クロロキン薬害事件]]></title><description><![CDATA[母から、 「失明直後に、 テレビだったかラジオだったかで、 薬で目が見えなくなったと裁判に訴えたニュースがあって、 自分も同じかもしれない」と聞きました。 インターネットで調べ、 クロロキン薬害事件の存在を知りました。 事の発端となったクロロキン製剤は、 もともとマラリヤの治療薬で欧米では禁忌とされていました。 腎疾患への適用が、 日本ではあたかも効果があるとされ、 薬の副作用でクロロキン網膜症による視力障害が起こり、 ひどい時には失明するという薬害事件です。 昭和35（1953）年頃から昭和50（1975）年頃にかけて起こっていました。 被害者数は1000人以上と言われています。 私はクロロキン薬害事件を知り、 「もしかしたら母は被害者なのか・・・」 「いや、仕方のない病気だったんだ」 そんな思いが交錯して、 事実が知りたくなりました。 でも40年前のことを今更どうやって調べればいいのか。 カルテが残っているとすれば、 それは奇跡に等しい。 まずは図書館で本を借りたり、 判例を通読していきました。 さすがに40年以上前の話なので、 情報はとても少なかったです。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/55-%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AD%E3%82%AD%E3%83%B3%E8%96%AC%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6</link><guid isPermaLink="false">6a15b6ca96a9edf7cb1eddd8</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 15:21:56 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[54.思いはうんち]]></title><description><![CDATA[視覚障害者のためのセミナーに参加したことがあるのですが、 視覚障害者のみなさんが、よく話すのを目にしました。 晴眼者（目の見える人）のセミナーだと、 最後に講師が「何か質問はありますか？」と聞いても 手が上がらないなんてのはよく見る光景です。 それで、 当てられるのや人前で話すことが恥ずかしいからだと思いますが、 セミナーが終わって、 講師に聞きに行く人もいますよね。 でもそのセミナーでは、 手がたくさん上がったんです。 視覚障害を持つ方は、 目からの情報量が晴眼者に比べて圧倒的に少ないから、 耳で聞くことが一番の情報源になります。 疑問はその場で聞かないともやもやしたままですし、 ネットで検索しようにも、 疑問自体を忘れてしまうから、 わからないことはその場で聞くんだと、 ある視覚障害者の方が教えてくれました。 そして、 講師に当てられた方もとてもよく喋りました。 私はその光景を見て、 みなさんもっと話したいんじゃないかと思いました。 聞くことが多い人は、 その分話すことでバランスを取っているのかもしれないと。 話をする代わりにアートや違う方法で表現する方もいるのでしょう。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/54-%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%AF%E3%81%86%E3%82%93%E3%81%A1</link><guid isPermaLink="false">6a15b065175279973260d014</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 15:04:25 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[53.人生最高の日は必要か？]]></title><description><![CDATA[ある日妻に、 「これまでの人生で最高だった思い出は？」と聞きました。 私は小学6年生の頃、 サッカーのワールドカップの決勝戦をスタジアムで見たいという夢を持ち、 2002年の日韓ワールドカップで叶えたことが最高の思い出でした。 ワールドカップ終了後に何も手につかない状況になり、 いわゆるバーンアウト。 ワールドカップの開催されていた１ヶ月間は、 サッカーという共通言語があるだけで世界中の人たちと仲良くなれました。 それは、 今まで経験したことのない強烈な毎日でした。 妻にはどんなすごい日があったんだろうと、 期待して聞き耳を立てて待っていると、 妻は私の質問に少し戸惑ったようすで、 「ない」と、 あっけなく答えました。 私は誰にもそういう日があると思っていたので、 「えっ？どういうこと？」と聞き返すと、 「ないものはない」 私は全く考えていなかった返事で驚きました。 そのとき自分の生き方の特徴に気づいたんです。 私はそれまで足りない足りないと、 いつも人生に物足りなさを感じていました。 それは一度最高の日があったために、 いつしかそれが基準になっていたんです。 それに引き換え、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/53-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%AF%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%8B%EF%BC%9F</link><guid isPermaLink="false">6a15a8c23834ba6543d72a12</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Tue, 26 May 2026 14:36:20 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[52.似た境遇の誰か]]></title><description><![CDATA[うつ病や適応障害などで休職した人たちが復職する前に、 『リワーク』という復帰訓練を利用することがありました。 毎朝決められた時間に通う通勤訓練、 パソコンを使った文書作成、 作った文書をみんなの前でプレゼンテーションしたり、 今まで仕事で普通に出来ていたことを疑似訓練していくというものです。 このリワークで最も有効と言えるのが、 同じ病気をした人同士のコミュニケーションです。 自助グループとも呼ばれますが、 「自分だけが病気になってしまった・・・」 という思いから、 「自分だけではなかった・・・」 「似た境遇の人がいるんだな」 「あの人も頑張っているから私も頑張れる」 といった空気が生まれるのです。 母は透析する人同士の患者会に行かなくなって、 透析患者の方と話をする接点が切れてしまいました。 一時期、 親戚が点字を一緒に習って母を支えようとしてくれたけれど、 母は点字が指先の皮膚に擦れて痛かったようで、 点字を習っても誰も読んでくれないと止めてしまったと言います。 母も苦しかったんでしょう。 重度の障害を２つも背負ってしまい、 自分の気持ちをわかってほしい一方で、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/52-%E4%BC%BC%E3%81%9F%E5%A2%83%E9%81%87%E3%81%AE%E8%AA%B0%E3%81%8B</link><guid isPermaLink="false">6a14694f183a32d20e312d76</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Mon, 25 May 2026 15:31:55 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[51.甘え方が分からない]]></title><description><![CDATA[妻と付き合い始めて間もない頃、 インターネットカフェに行きました。 妻も私も自分の好きな漫画を持って来てそれぞれ読んでいました。 私は壁にもたれて、 妻は寝転がって。 時間が過ぎ、 妻は「もう　甘えてこないんだから」と言って、 私の膝枕で漫画を読み始めました。 確かに恋人同士、 イチャイチャしてもおかしくない状況。 「甘えてこないんだから」という言葉は、 「甘えていいんだよ」という以外に、 何か意味を持っているように聞こえたんです。 私は甘え方を知らない自分に気づいたんです。 甘えるって一体どういうことなんだろう？ と振り返れば、 甘えたい盛りにその気持ちを我慢してきたかもしれない。 甘えたこともあったと思うんですが、 「母を支えなくてはならない。 甘えてなんかいられない。 早く大人にならなくては」 という思いがあったのははっきりと覚えています。 2歳の頃におまるを自分で洗っていたと母から聞かされた時には、 さすがに驚きましたが、 ただ、 甘えられないからといって、 日常生活に困ることもなかったので、 問題意識もありませんでした。 でも甘え方を知らないことが、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/51-%E7%94%98%E3%81%88%E6%96%B9%E3%81%8C%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84</link><guid isPermaLink="false">6a1392df8fa816dacc842a70</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Mon, 25 May 2026 00:23:15 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[50.やりたいことをやればいい]]></title><description><![CDATA[父も母も、 私がやることに反対したことは一度もなかったと思います。 あーしろこーしろもなかったですし、 強制されて何かをしたことはありません。 私を信じ切ってくれていたことが、 自立心を育てたのかなとも思います。 本当にありがたかったなと感謝しています。 小学4年生の時、 テレビで見た『六三四の剣』に影響されて、 剣道を始めたものの1 年くらいで行かなくなり、 母からは防具が高かったのにとチクチク言われたけれど、 ヒーローごっこの延長みたいなものだったから目標もありませんでした。 剣道が上手くなりたいとか、 大会で優勝するとか、 勝つために練習するという発想すらなかった。 楽していかに勝てるか。 なんでも器用にこなすタイプだったので、 それなりにしかならないわけです。 面白さや楽しさを知る前にやめてしまいました。 当時は子供も多かったので、 クラブ側も一人一人の面倒を見ることはなかったですから。 また、中学3年の頃には、 塾に行きたいと思うようになり、 行かせてくれました。 勉強ができるようになりたいという思いはありましたが、 どちらかといえば友達がしていることを自分もしたい。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/50-%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%84%E3%81%84</link><guid isPermaLink="false">6a138d185bc3ae47de6ad785</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Mon, 25 May 2026 00:05:16 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[49.人に頼る]]></title><description><![CDATA[父も母も戦後の高度経済成長のど真ん中を生き抜いてきた人。 まじめで自分のことは自分で全て責任を持ち、 人に頼ることを基本的にはしない。 この時代の人たちは特にそうなのかもしれません。 私自身を振り返ると、 小さい頃は自分で辛さや苦しさを抱えていることがわからなかった。 子供だから自覚できなくて当然なんですが、 自分で抱えきれなくなるまで目一杯抱えてしまって、 それが心や行動に表出していたんだと思います。 まだこの頃は、 心理学が盛んだったわけでもないので、 子供の出すSOSサインとか、 大人たちにも見過ごされていました。 私はおまるを自分で洗っていた責任感を愛おしく思いますけど、 大人になって、 やっぱり子供のサインは大人が気づいてあげなきゃいけないと思います。 小さい時に誰かに助けられたり、 安心感の中で育つ経験は、 大人になって人にうまく頼ることができる素地になると思います。 私がメンタルヘルスの仕事をしていた時に、 困った時に上手に人に頼れない大人がたくさんいることを知りました。 「自分のことは自分ですべきだ」 「人に頼るのは恥ずかしい」 「頼ったら迷惑がかかる」...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/49-%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%A0%BC%E3%82%8B</link><guid isPermaLink="false">6a12616ca2438924d11036a2</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sun, 24 May 2026 23:54:48 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[48.父の背中]]></title><description><![CDATA[父は勉強が嫌いだったので、 高校には行かず、 15歳から働き始めました。 頭よりとにかく体の動く人で、 家でじっとしていることはありませんでした。 長年飲食業界で働いて来ました。 父の知人と始めた喫茶店経営は長年うまくいっていたのに、 私が小学2年生の頃、 土地の所有者が騙されて土地を売却することになり、 すったもんだあって閉店することになりました。 ほどなくして父は、 当時名古屋では珍しかった牛タン屋を始めたんです。 仙台に偵察に行って、 「これはおいしい！」と、 「焼肉・おでん・串かつの店　くるま屋」を開店。 でも当時は、 バブルが弾けて急速に日本経済がしぼみ、 財布の紐がきつくなっていった頃。 父は料理人でも経営を追求するようなビジネスマンでもなかったので、 店は3年ほどで、 借金を抱えて閉店。 その10年後くらいに牛タンブームがやって来たので、 先見の明はあったんです。 タイミングが早すぎたのか、 売り出し方がうまくなかったのか。 焼肉屋をたたんで、 魚屋で雇用の身になりました。 毎日帰ってくると魚臭くて、 その頃私は中学生だったけれど、 学校では給食がないので、...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/48-%E7%88%B6%E3%81%AE%E8%83%8C%E4%B8%AD</link><guid isPermaLink="false">6a11abfcb883334b04e571cf</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 14:04:19 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[47.38年目の手紙]]></title><description><![CDATA[それは38歳も終わろうとする11月のこと。 仕事から帰って来ると、 「お母さんから手紙が来たよ」と妻が。 「母さんから？」と、 クエスチョン。 親からの手紙は、 いつもなら差出人には父の名前が書いてあるんです。 私はなぜか、 自分で封筒を開けるのが怖かったから、 妻に手紙を読んでもらいました。 そこには、 「お変わりなくおすごしと思います 私したちも元気でくらしております 今は字の字の練習をしましたので かいて見ました 初めて手紙をかきますのでよんで下さい 月下美人が黒点病にかかり下の方を切ってしまいました 花がいつ咲くかと楽しみにまっていましたが残念です との花もだいじに育ててきたからさみしいです 七五八の母より」（原文ママ） 一枚の便箋に書かれた母の文字を見て、 心が震えました。 胸の奥に熱いものがこみ上げました。 38 歳にして、 初めて母の書いた文字を目にしたんです。 普通の（目の見える母親のいる）家庭なら、 小さい頃から文字くらい目にするでしょうけれど、 私は一度も見たことがなかった。 母も書くことはなかった。 文字を見て驚きというより理解不能…...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/47-38%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99</link><guid isPermaLink="false">6a11a9baa2438924d10f0172</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 13:28:50 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[46.母の居場所]]></title><description><![CDATA[仕事が冬休みに入ったので、 実家へ帰省し、 両親には離婚するかもと伝えました。 ふと私は、 母に彼女の気になった行動について話をしました。 彼女は遅くまで勉強していたので、 私は疲れていると思い、 食器を洗ったり、 洗濯物をたたんだり家事をしてました。 その度に彼女は怒った口調で、 「私がやるから置いておいて！」と言ったのです。 私は「いいよ。疲れているんだから俺がやるよ」 と言ってさっさと片付けてしまった。 母はその話を聞いて、 「それはおまえが悪い。 お母さんも透析の日は体がえらくて（辛くて）、 食べ終わってすぐには動けんし、 洗うことはできん。 でも洗いたくないわけじゃない。 置いといてくれればいい。 でもお父さんが俺がやったほうが早いし助かるでしょと言って、 ちゃっちゃっと洗っちゃう。 そうすると自分のやることを取り上げられたようで悲しくなる」 と教えてくれました。 私がお金を稼いで自分は勉強という立場に心苦しさがあったかもしれません。 もちろん夫婦なので、 そんなことは気にしなくてもいいのですが、 おそらく私が彼女に対して感謝が足りなかったんだと思います。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/46-%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%B1%85%E5%A0%B4%E6%89%80</link><guid isPermaLink="false">6a11a7e6a2438924d10efef2</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 13:19:52 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[45.怪獣の哭いた日]]></title><description><![CDATA[私が小さい頃に母は、 「もしお母さんの目が見えていたらおしゃれをして、 色んな所にお前を連れて行ってやりたかった」と、 よく言っていました。 私はそれを、 「ふーん」と聞き流していたけれど、 この言葉が後に大きな影響を及ぼすことになるとは、 その時は知る由もありませんでした。 それは前妻との間で起こりました。 相手のことがあるのでだいぶ端折りますが、 私は彼女が疲れていようと体調の優れない日だろうと、 まだ行ったことのない場所へ、 毎週毎週時を急ぐかのように連れ回しました。 彼女に似合いそうな服やカバン、靴などを買いまくっていました。 家計に余裕がなかったにもかかわらず、 でもその時は自分のしていることに何の疑いもなく、 最初は彼女も嬉しかったようでしたが、 そのうち自分に必要以上にお金を使ってもらうことに、 苦しさを覚えるようになっていきました。 そして、 ある日離婚を宣告されました。 私は寝耳に水で、 翌日から凄まじいストレス反応が現れ始めました。 動悸がするようになり、 眠れなくなり、 味覚がなくなり、 仕事も手につかず、 涙が止まらなくなりました。...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/45-%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%81%AE%E5%93%AD%E3%81%84%E3%81%9F%E6%97%A5</link><guid isPermaLink="false">6a11a3f0a2438924d10ef81a</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 13:12:02 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item><item><title><![CDATA[44.パーソナルスペース]]></title><description><![CDATA[私が31歳の時に入学した武蔵野大学の通信教育過程では、 夏休みの期間を使って学校で授業を受けるスクーリングがありました。 スクーリングは必修科目なので、 毎年夏になると会社の休みを使って出席しました。 北海道とか沖縄とか遠方来られるには頭の下がる思いでした。 スクーリングでは、 短期間でレポートを仕上げなくてはいけなかったりで大変でしたけど、 勉強の楽しさをようやく覚えた私にとって、 どれも知的好奇心を満たしてくれるものでした。 色々な授業があるなかで、 特に印象に残っているのはパーソナルスペースを測定する授業です。 パーソナルスペースとは、 簡単に言えば対人距離のことで、 これ以上近づいたり近づかれたりすると不快感を感じるスペースのこと。 自分を中心にした円があり、 その内側がパーソナルスペース。 例えば、 友達と全く見ず知らずの他人とでは、 友達の方がパーソナルスペースが狭くなります。 相手との関係性に影響されるわけです。 満員電車のように、 仕方ない状況に左右されることもあります。 パーソナルスペースの測定方法は、 自分を中心に８方向（前方・右前方・右横・右後方・後方・左後...]]></description><link>https://www.sonetherapy.jp/post/44-%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9</link><guid isPermaLink="false">6a11a112c9b7de4f2a1da9d7</guid><category><![CDATA[生い立ち]]></category><pubDate>Sat, 23 May 2026 12:53:26 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/87c24b_7024ac488c3a4d1298de0f3db33e9764~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_941,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>Masaki Kumazaki</dc:creator></item></channel></rss>